INTERVIEW

■10月5日、6日に開催されるフェス「FOMARE大陸」。2022年以来2回目の開催となるわけですが、改めて、FOMAREとしてはどんな意志を込めて立ち上げたフェスなのかを教えていただいてもいいですか。

アマダシンスケ(FOMARE/Vo&Ba)「僕らの世代のバンド……つまり20代中盤から後半くらいのバンドが仲間を集めるイベントが、(地元)群馬にはなかなかないなぁと思ったんですよね。G-FREAK FACTORYが『GUNMA ROCK FESTIVAL』や『山人音楽祭』をやったり、LACCO TOWERが『I ROCKS』をやったり、自分達がやってきたことの集大成としてイベントをやる先輩が群馬にはいて。そういう先輩の姿を見て、俺達も俺達の世代で大きなイベントをやってみようと思ったんです。FOMAREがデビューしてから7年が経ちますけど、ありがたいことに活動を重ねる中でお客さんも増えてきたし、ライヴを軸として活動してきたバンドとして、全国で出会った仲間を一気に群馬に呼ぶようなイベントを作りたいと思ったことが『FOMARE大陸』のスタート地点でしたね」

■G-FREAK FACTORYの「山人音楽祭」やLACCO. TOWERの「I ROCKS」を、どういう意味合いの祭りだと捉えてきたんですか。

アマダ「そうだな……もしかしたら、群馬を背負う気持ちを込めてロックバンドの居場所を作るような意味合いがあるのかもしれないですけど。でも俺らの場合はそこまで考えていなくて、G-FREAKの世代、LACCOの世代以降から俺らの世代までが結構開いているから、俺達は俺達らしいイベントを作れたらいいなと思ったくらいなんですよね。そうなれば、俺らがライヴをやってきた中で出会ったカッコいい仲間、先輩、後輩を呼びたい。そういうシンプルな行動原理で作ったのが『FOMARE大陸』だと思います」

■SHANKも地元・長崎で「BLAZE UP NAGASAKI」を毎年開催されています。SHANKが出会ってきた盟友バンドが一堂に会するフェスであり、地元にロックの火を灯す場所という意味で、今アマダくんが話していた精神性に共鳴する部分もありますか。

庵原将平(SHANK/Vo&Ba)「そうですね。長崎にもなかなかそういうイベントがなかったし、だったら作ろうっていう気持ちは俺らにもあったと思う。まあ、BLAZE UPを始めた当時(2011年、長崎NCC&スタジオで初開催)はそこまで考えてなかった気もするんですけどね。長崎みたいな田舎にはあんまり人が来ないから、ツアーをする中で出会ったバンドと一緒にやれるお祭りがあったらいいよねっていうくらいだったと思います。そうやって始まったものが、やっていくうちに意味合いを持っていったというか。今は、長崎の人達への愛、そして夢を--」

アマダ「はははははは!」

庵原「それは冗談ですけど(笑)。でも実際、1年に1回の祭りを楽しみにしてくれる人も増えてきて。とはいえまだまだ浸透してないと思うし、これからだなっていう気持ちでいますけどね。長崎で遊んでくれる人がもっと増えたらいいと思うし、そのための場所を守り続けたいと思ってます」

■そうしてローカルにロックバンドの居場所を作らんと奮闘してきた2バンドなわけですが、そもそもどういう出会いから繋がりが生まれていったんですか。

アマダ「最初の最初は、僕らが中高生の時にSHANKをライヴハウスに観に行って。そこからどっぷりのめり込んで、普通に大ファンだったんですよ。で、2017年にsmall indies table(FOMAREの所属する事務所でありレーベル)からデビューして、少し大きいツアーをやるとなった時にどうしてもSHANKに出てもらいたかったんです。そのオファーを受けていただいて対バンしたのが、FOMAREとSHANKのファーストコンタクトでした。それ以来なかなかライヴハウスでの対バンはなかったんですけど、次第に、いろんなフェスで顔を合わせることが増えていきましたね」

松崎兵太(SHANK/Gt&Cho)「シンスケと初めて話したのは、シンスケが高校生の時?」

アマダ「そうです。高校2年生だったかな。高崎SUNBURSTのスタッフとしてバイトしていて、その時だったと思います」

松崎「だよね。そこで連絡先を交換して、しばらくしてから『FOMAREというバンドをやってます』って教えてもらって」

庵原「その後に対バンして、『あいつか!』ってなったもんね」

■対バンして、SHANKから見たFOMAREの印象はどうだったんですか。

庵原「歌がいい、曲がいいバンドだなっていう印象でした」

松崎「同じ印象。曲がいい」

早川尚希(SHANK/Dr&Cho)「俺は前にやってた3styleでFOMAREと対バンしたのが最初やったかな。その頃から今に至るまで変わらない印象ですけど、演奏が上手いバンドやなっていうところと、とにかく曲がいい。お客さんの姿を見ても、誰でも歌える曲を作れるバンドだと思うんですよね。そこに熱量も込められていて、ライヴ感も強いし曲もいいっていう印象が強いですね」

庵原「いい曲と言ってもいろいろあるとは思うんですけど、人が歌えるメロディっていうのもそうやし、聴いていて情景が浮かぶ歌がFOMAREには多いんですよね。そういうところがいいなって思う」

アマダ「嬉しいです! ありがとうございます」

■FOMAREはSHANKのどんなところが好きだったんですか。

カマタリョウガ(FOMARE/Gt&Cho)「当時メロコアキッズだった俺からすると、曲がめちゃくちゃ斬新だったんですよ。メロコアのセオリーに則ってないところがカッコよかったし、そこが尖ってた。唯一無二感の音楽だなっていう印象でした。こういうのが聴きたかった、今までにないメロディックパンクだっていう感覚がありましたね」

庵原「嬉しい。FOMAREが俺らをライヴハウスで観てくれてた当時は、THE NINTH APOLLOを離れて自分達でツアーを組み始めた頃かな。自分達でやったらこんなに状況が変わるんだ!?っていうリアルな部分を理解したのも含め(笑)、それまでのことに対する感情が尖りに見えてたのかもしれない」

アマダ「SHANKの好きな部分、SHANKに影響された部分で言うと、まず3ピースのベースヴォーカルっていう点で勝手に親近感は覚えていて。あとライヴ感ですよね。特に昔のSHANKはめちゃくちゃ動いてめちゃくちゃ汗をかいて、激しい音であると同時にバンドとしても激しかった。なんなら兵太さんはスピーカーの上に立って弾いてたし(笑)。で、それが徐々に変わってきて、最近のSHANKのどっしり感もめちゃくちゃカッコいいんですよ。マイクの前から動かなくても、デッカい熱量を感じさせてくれる。そういう部分にSHANKのバンド力があるなって思うんですよね。昔から俺らのシーンは『とにかく動け』とか『とにかく汗をかけ』とか、パンチを出せ!っていうことばっかり言われてたんですけど、SHANKはメロディックパンクでありながらもそういう場所からどんどん離れていってる。なのに、ずっと初期衝動を感じさせてくれる。そういうライヴ感に魅力があると思ってるし、影響を受けた部分だと思ってます」

オグラユウタ(FOMARE/Dr)「しかも、デカいところでやっても変わらぬSHANKで沸かせてるのが凄いと思います。どんな会場でも、ライヴハウスのライヴで勝負してる。そこがカッコいいと思いますね」

■そして、今回の「FOMARE大陸」にSHANKが初出演となるわけですが、ラインナップ全体を見てみると、ライヴハウスで一緒にやってきた同世代のバンド達、同郷の大先輩であるG-FREAK FACTORYはもちろん、MONGOL800のようにFOMAREの原風景にいる先輩バンド達に加えてクリープハイプやSaucy Dogといった面々もいらっしゃいます。その中で、アマダくんはSHANKにどういう気持ちで出演をオファーしたのかを伺えますか。

アマダ「対バンする機会も増えてきて、その後で飯に行ったり飲みに行ったりする中で人間的な交流も増えて。人間的にもハモってる感覚があるんですよ。じゃあ『FOMARE大陸』への出演を直接オファーしてもいいんじゃないかな、それくらいの関係値になれたんじゃないかなって思えたんですよね。単純に大好きなバンドだから呼びたいっていう気持ちが一番ですけど、群馬のライヴハウスの店長さんがどんどん変わったり、ハコ自体がなくなってきたりして、お客さんからすると、これまでは当たり前のように年1回は群馬に来てくれていたバンドがなかなか群馬に来てくれなくなったっていう印象だと思うんですよね。その中で、お客さんに観て欲しいバンド--FOMAREのことを好きでいてくれる人達に俺らのルーツを観せたい。SHANKはまさに俺らのルーツですし、FOMAREに影響をくれたバンドとしてぜひ出演して欲しいと思いました」

■今のお話は、ライヴハウスや群馬のシーンに続く扉を用意したいっていう気持ちでもあるんですか。ロックバンドがフェスをやるというのはロックバンドの居場所を示すためのアクションであり、すなわち自分達の意志とアティテュードを提示するための一手なんだっていう。

アマダ「ああ……確かにそういう気持ちは初年度からありました。そもそも群馬って独特な街ですし、SHANKの地元である長崎とも似ている気がするんですよ。音楽好きな人にとってのライヴハウスの在り方というか、ライヴ環境が似てる。長崎に住んでいてロックバンドが好きな人も、ちょっと遠出して福岡まで行かないとライヴを観られない--みたいなのと一緒で、群馬から東京まで出ないと、好きなバンドのライヴを観る機会が得られないっていうか。そういう場所だからこそ、ロックバンド自身で場所を作るしかないっていう考え方があるのかもしれない」

松崎「長崎も、ロック好きな人なんているのかな?っていう環境だからね。俺がロック好きな人と話す機会がないだけなのかもしれないけど。言葉はあれだけど、ミーハーな人のほうが多いから。ミーハーが悪いって話じゃなくてね。どうしてもライヴハウスが身近じゃない環境だから、メジャー/インディーズだっていう概念以前に、テレビで流れているものやSNSで流行っているものに触れる機会しかない。となると大体の人はライヴハウスの文化を知らないし、つまりロックバンドをやる人も少ないんです。そういう環境の中で自分達のやっていることを伝えていくのは凄く難しいし、考え続けているところではあります。だからこそ、フェスみたいに多くの人が集まることをやるのは意味があるんじゃないかと思ってますね。ロックバンドの文化、ライヴハウスの文化の入り口として」

■「ローカリズム」といった大それた主義でやっているわけでもなく、ロックバンドが愛する場所で活動していくためのシンプルな行動原理なんだということですよね。場所がないなら作って伝えるっていうスタンス。

松崎「そうです、シンプルだと思いますよ。FOMAREとも、そういう精神性で繋がってますっていうわけでもない。飲んでて楽しい後輩だから一緒にやるし、なんなら年齢なんて関係なくバンドとして大好きな人達なので。人間としてもバンドとしてもウマが合うから『FOMARE大陸』に出るし、これからも一緒にやりたいと思ってますね」

庵原「友達だから『FOMARE大陸』に呼んでくれることが嬉しいしね。で、バンドの繋がりってそういうものだと思うんですよ。友達だから『BLAZE UP』にもFOMAREを誘ったし」

アマダ「俺らも、呼んでもらってめちゃくちゃ嬉しかったですね」

庵原「友達がやってるイベントなんだな、出たら絶対に楽しいだろうなっていう。結局、全部そこですよ。そのイベントの意味とかメッセージとか精神性みたいなものも生まれてくるものなんだろうけど、それは後からついてくるものであって。関係値や信頼がなくちゃ成り立たないものだろうし」

アマダ「そういう気持ちは僕らも同じです。好きな人、好きな仲間と一緒にやること自体が自分達の意志なんですよね。こういう人達と出会ってきたんですっていう1日を作れること自体が、歩みの証明なので。そういう行動原理はずっとブレてないですね」

■2010年代ごろまで、フェスというものはロックバンドの主戦場だったと思うんです。それが今ではロックもポップも何もごちゃ混ぜの場所になり、コロナ禍の規制を経たことでその流れはさらに強まった。そうして、ロックとは何なのか、ロックバンドとは何なのかという概念自体を必要としない場所に変わってきたように見えるんですね。だとすればロックバンド自身でフェスを作ってしまおうというのは自然な生理だと思うし、仲間の存在をそのままアティテュードとして表明するのも真っ当なことだと思う。そういうシーン論としては、自分達のフェスはどう在りたいと考えていますか。

松崎「まあ、何がロックだっていう考え方を必要としない人はそれでいいと思いますけどね。フェスも、最終的には主催する人の考え方次第なんで。ただ俺らは、自分達の場所がないなら作ればいいやって思ってる。スケジュールが空いてるならライヴしましょうっていうくらいだし(笑)」

庵原「でもまあ……確かに今言われたように、ロックとは何か、ロックバンドって何なんだろうって考えてもいないフェスがロックフェスなのかと言われたら、どうなんだろうとは思う。そういうことを考える人すらいなくなっちゃったのかもしれないけどね。ロックもポップも一緒みたいなもんだって思うのが普通になったんだったら、それはそれでいいし。そういう流れに対するカウンター精神がないわけじゃないけれども、敵対するスタンスではやってないから。俺らは俺らのやり方で、好きなヤツらと好きな場所を盛り上げたい。外野には興味がないっすね。だからこそ、呼んでもらったら喜んで出ますよ。ありがとうございまーす!って感じ(笑)。気に喰わないものがあるから自分達の場所を作ってるわけじゃないんですよね、俺達は。ただ好きなもののためにやってます。だって、気に喰わないものを言い出したらキリがないもん」

アマダ「(笑)。バンドマン以外のアーティスト、ロック以外の音楽を鳴らすアーティストがSNSを通してたくさん出てくる時代になって。そういう人達がフェスにも多く出るようになってきたわけですけど、そこに対するカウンターを打とうっていう意識でもないんですよね。いいものはいいし、ロック以外の音楽を聴くこともたくさんある。でもカッコよさで言ったら、絶対にロックバンドは負けないんですよ。スタジオで合わせる大変さとか、わざわざ楽器を担いで全国を回ることとか、時代的に言ったら非効率なのかもしれないけど、そこにこそ、サンプリングから始まる音楽とは違う人間感が宿るんですよね。その人間っぽさこそがバンドの面白さだし、カッコよさだと思ってる。今は逆に、そのカッコよさを見せられるチャンスなんじゃないかと思うんですよ。ロックやロックバンドが少数派になってきたのなら、むしろカッコよさが際立つと思ってる」

カマタ「そういう意味でも、たくさんの人に見てもらえる『フェス』っていう場所は格好の舞台ですよね。今なら多くの人を巻き込める力があると思うし、掴んだ人達を連れて行きたいと思ってる。だからこそフェスに出たいし、自分達でもフェスを作れたんだと思いますね」

■今だったら多くの人を掴めるという自信は、何によって生まれたものなんですか。

カマタ「遡ると……small indies tableに所属して1年目や2年目はフェスにたくさん出させてもらえたんですけど、その時は嬉しいだけだったんですよ。そうしているうちにパタッと呼ばれなくなってしまって、それがコロナ禍に入る前だったんですね。で、このままじゃダメなんだろうなって思いながら活動していく中で、特にコロナ禍に入ってからは楽曲のヴァリエーションも増やして。ライヴハウスでアグレッシヴなライヴをするだけじゃない、いろんなFOMAREを見せられるようにしていったんですよ。その曲達が多くの人を呼んでくれるようになって、そしたらいろんなフェスに呼んでもらえるような状況になってきて。必要だから呼んでもらえているんでしょうし、もちろん、そこでカッコいいライヴができる自信もある。たくさんの人が集まっている場所でこそライヴバンドらしいところを見せたいですし、自分達の場所を自分達で作れば、さらに多くの人を巻き込めるんじゃないかと思うようになりましたね」

■FOMAREはメロディックパンクからの影響が色濃い一方、歌を前に出したポップな楽曲を前に出しながら多くの人にリーチしてきた。SHANKはSHANKで、メロディックパンクを出自にしてはいるけどメロディックパンクのセオリーを壊すようなアレンジを多く施している。どちらのバンドも、ライヴハウスに生息しながらもジャンル的にはハミ出している部分が多いと思うんですね。そういう音楽的な立ち位置としては、お互いにどんな印象を持っていますか。

庵原「俺らの場合は……似たようなことだけをして、何となく延命しながら萎んでいくのは面白くないなっていうのがあったから。22歳、23歳くらいの頃から、そういうことを考えてたのかな」

松崎「『Loving our small days』っていうファーストアルバムを出したくらいじゃない? バンドとしてもお客さんの感じとしても、悪い意味で変化がないなって感じ始めたんですよね。で、このままじゃ上手くいかないだろうし、メロディックとかメロコアとか呼ばれる小さい枠の中で考えるからこういうことになるんじゃないのかな?っていう違和感が自分達の中に生まれていって。ジャンルで言ってもスタンスで言っても俺ら以外にもたくさんバンドがいる中で、ひとつのジャンルに目を向けて活動しているだけじゃ何も進んでいかないと思った。廃れていくだけ、延命するだけじゃ、何のためにバンドをやっているんだって話になるから」

庵原「パンク以外の音楽も好きだからね。好きな音楽とバンドに対して自由でいなくちゃ、何の意味もない。そういう音楽的な自由を表現して何が悪いの?っていう話だよ」

アマダ「そうですよね。俺の場合は、SHANKほど意識的に音楽の幅を広げてきたわけじゃないかもしれないですけど。ただ自分の正義に従って曲を書いてきただけっていうか。でも、改めてコロナ禍は大きかったと思うんですよね。激しくて暴れられるような曲よりも、家やスマホで音楽を聴く環境に向けて、歌とメロディを重視した時期だったので。そこで音楽的な幅がグッと広がったのは間違いない。それでも、自分達のルーツをどうにか落とし込まないと気が済まないところがあって。どんな曲だったとしても、パンクロックの影響を感じさせるリフを入れたい、とか。そういうふうにして、自分達が影響を受けてきた音楽をどうにか広い層に届けたいと思ってきたのは変わらないんですよね。その結果として、FOMAREもSHNAKも自分達なりのミクスチャーを作ってきた気がするんですよ。無意識にやってきたことだけど、ルーツになったものや好きな音楽に対して素直でいたからこそ、自然と形成されてきたミクスチャーなんだと思います」

■両バンドとも、ジャンルとかシーンといった言葉を立ち位置にしていないですよね。自分達の音楽だけに素直でいるバンドだと改めて思う。

庵原「やりたいことやるだけであって、それで必要とされる場所には自然と呼ばれるんだろうし。あとは好きな曲を作ってライヴをやるってことしか考えてない。ホームとかアウェーとかも、全然意識してないもん」

松崎「なんなら『BLAZE UP NAGASAKI』も自分達の居場所と思ってやってるわけじゃないですからね。1年に1回くらい長崎に来てみなよ、美味いもん食って音楽聴いていきなよっていうだけなんですよ。一応俺らがトリをやりますけど、基本的には『長崎観てってよ!』くらい。それが居場所として見えているならありがたい話だけど、俺らからすると、みんなが楽しんでいるのと一緒で俺らも楽しみたいだけなんだよね」

アマダ「僕らのスタンスで言っても、そもそも最初から『どこに行っても通用するんじゃねえかな』っていうのが何となくあったから。でも、何となくいろんなところに行けちゃうチャラさこそがFOMAREの武器だったりもするんですよ。立ち位置がどうっていうより、どこにでも行けるのが楽しくてバンドをやってるんで。まあ、『〇〇に似てるね』みたいなことを言われることが多かったし、そこを抜け出したいと思いながらやっていた時期が長かったのは事実なんですけど。でもコロナ禍でいろんなタイプの楽曲を作ってみて、曲のおかげでいろんな場所に出て行けるようになって、やっとFOMAREらしい『何となくどこにでも行ける』っていう強さに辿り着けた気がしていて。そういう意味では居場所がないのかもしれないし、居場所を作ってないだけなのかもしれないし。そういう自由なスタンスでやってきたからこそジャンルに関係なくいろんなバンドと出会ってこられたわけですし、逆説的ではありますけど、『FOMARE大陸』はそういう歩みを見せる場所なんじゃないかなって思います」

庵原「『〇〇に似てる』みたいな感じでしか音楽聴けないヤツなんて、耳腐ってるよ」

カマタ「ははははは。今となっては、そういう声を覆したいとすら思わないんですけどね。むしろいろんな音楽から影響をもらってきた僕達だからこそ、いろんなジャンル、いろんなシーンを繋ぐ役目ができるんじゃないかなと思ってて。ハードコアの先輩からギターロックの若手まで対バンしていてもおかしくないバンドになれた気がしてるし、それを誇りに思ってるんですよ。だって、そういうバンドはなかなかいないから。それこそ『FOMARE大陸』も、このタイムテーブルなかったでしょ! こんなバンドを呼べるんですよ!っていうのをまだまだ見せていけるフェスだと思ってるので。もっと行けると思ってます」

庵原「誰かに似てるとか、誰かからの影響が強いとか、最初は好き勝手に言われるもんだからね」

松崎「好きな曲を素直にやってるだけなんだから、それでいいんだよね。誰かに似てると言われたとして、どうするかを考えるのも人それぞれだし。そこから徐々に自分達らしさができていくもんだと思う。人がどうとかじゃなくて自分達がどうするか。そういう道を作っていくのがバンドだから」

早川「僕がSHANKに加入したのも(2024年4月に正式加入)、音楽的に自由で柔軟なところがいいと思ったからなんですよ。これまで僕はゴリゴリの2ビートをやってるバンドしか経験がなかったですけど、SHANKはスカっぽい曲もあるしレゲエっぽい曲もあるし。『セクシーにドラムを叩け』って言われるなんて初めてのことなんですよね(笑)。それが面白いし、シーンがどうとかジャンルがどうとか、それを守ることが目的ではない。あくまで自分達が自由に音楽をやっていくことが大事なわけであって、そこはこれからも変わらないし、FOMAREともそういう気持ちが共通してるんじゃないかなって思いますね」

アマダ「嬉しいです。どんな音楽も同じテーブルの上に乗っている感覚でいるし、その音楽観をそのまま表現するのが自分達のフェスだと思います」

■2024年の「FOMARE大陸」は、どんなラインナップが実現したと思われていますか。

アマダ「ジャンル的にも世代の混ぜ方的にも、FOMAREにしかできないラインナップだと思いますね」

カマタ「自分がキッズだったら絶対に行きたくなるタイムテーブルだと思うもんね(笑)。めっちゃ好みですもん、メンツ」

アマダ「SHANKの『BLAZE UP NAGASAKI』も1ステージですよね?」

庵原「うん、1ステージ」

アマダ「『FOMARE大陸』も1ステージなんですけど、そっちのほうが対バン感あっていいなと思うんですよね。規模的にはフェスですけど、対バンイベント感もあるのが魅力だと思ってますね」

■対バン感っていうのは「FOMARE大陸」にとって大事なポイントなの?

アマダ「そうですね。いつかはステージを増やしてみたいな、とかも考えますけど、1ステージだからこそのバトンがSaucy DogからKUZIRAに繋がれて、そしてトリに俺らが出るなんて、普通のフェスではありえない流れだと思うんですよ。自己満足みたいなところもちょっとあるんでしょうけど、異種格闘技っぽい流れがひとつのバトンで繋がっていくところに面白さがあると思ってます。『BLAZE UP』もそうですよね?」

松崎「いや、『BLAZE UP』は繋がれてきたバトンを俺らが無視するっていうイベントだから」

アマダ「ははははははは!」

松崎「要は、俺らが主役だと思ってないんだよね。出てくれたバンドへの感謝はありつつ、俺らは俺らでお客さんと一緒に楽しんでるだけだし、お客さんや出演バンドに楽しんで欲しいだけ。トリだからって気張るのは違うっていう感じなのよ。楽しかったかな?っていうことばっかり気になっちゃう」

庵原「ま、そんなこと言いつつビシッと決めるんですけど!」

アマダ「そうっすよね(笑)。だから俺らも『BLAZE UP』に呼んでもらったのがめちゃくちゃ嬉しいんですよ。それに、ホストバンドとしての心構えが面白いなと思いました。俺らは『山人音楽祭』のG-FREAK FACTORYと『I ROCKS』のLACCO TOWERを10年くらい観てきてるから、勝手に『バトンは背負うものだ』みたいな意識でいたんですよ(笑)。なので今の話を聞いて、自分達自身が楽しむスタンスを忘れちゃいけないよなって思いましたね。当日、ステージで何を思うのかが楽しみです」

■逆に言うと、このイベントでいろんなバトンを受け取り続けることで、FOMAREがこの先でやりたいことがもっと明確に見えてくるのかもしれないですよね。未来へのバトンっていうか。

アマダ「ああ、そうかもしれないですね。……柿ピーさん(オグラ)はどう?」

オグラ「ケータリングが美味いとか、トイレが綺麗とか、楽しかったとか。そういう声を聞けたら、俺は一番嬉しいです!」

アマダ「はははははは。でも、今のイメージはそういう感じですね。俺達の故郷を楽しんでもらって、それを俺らのエネルギーにしたいです。俺らも若手ではなくなってきたわけで、もっと若い人達にも着火したいと思うし。『楽しい!』っていう中で、ちゃんとバンドのカッコよさを伝え続けられるフェスにしていきたいと思ってます」

松崎「(フェスの間が空く)1年とか1年半って、若い子からしたら凄く長い時間だと思うのね。俺らの時は、長崎という環境の中で人前に立つ方法がバンドくらいしかなかったけど、今はそうじゃないから。自分を可愛く撮った写真をSNSに発信して世に出ていく人もいれば、音楽をもっと手軽に発表できるようにもなってる。そうなると、若いバンドがライヴハウスから出てくる機会はどんどん減っていくんだよね。そういう状況の中で、『BLAZE UP』は中高生だけチケットを異常に安くしていて。ライヴ観てバンドをやりたいと思って欲しいし、若気の至りというか、『俺らは絶対に上に行けるぜ!』みたいな根拠のない自信で始まった俺達だからこそ、若い人達に『バンドをやりたい』と思ってもらえる場所になったらいいと思ってる。ライヴハウスが浸透していない長崎でイベントをやる責任とかメッセージっていうのは、結局そういう部分にあるんじゃないかな」

■カマタくんも「自分がキッズだったら絶対に観に行きたいフェスだ」とおっしゃいましたけど、「FOMARE大陸」も、若い人達がバンドを始めるきっかけになれたらいいなという気持ちが強いイベントなんですか。

カマタ「まだ、そこまでは考えられていないかもしれないですね。でも、続けていくうちにそういう意識が芽生えてくるんだろうなっていう予感はあって。群馬も若手のバンドが凄く少ないんですけど、やっぱり世代が繋がっていく、世代を繋げていくことによってシーンができていくものだと思うんですよ。今いる群馬のバンド達に対しても、もっとやれるでしょ、もっと頑張れるでしょって思い続けてますし、そこに着火できるイベントに育っていったらいいなと思ってます」

アマダ「きっと長崎に比べたら群馬はライヴハウスが維持されているほうで、コロナ禍が明けてからまたバンドが増えてきた感覚もあるんですよ。デジタルな音楽に一極化してからの反動もあるだろうし、改めてフィジカルなものを求める人が増えたっていう言い方もできると思うんですけど。そうやって若いバンドが増えている状況があるのなら、なおさら俺ら世代が頑張って火を点けていかなくちゃダメですよね。コロナ禍の間も日本のバンドシーンに種を蒔いてこられたとは言えないけど、高崎という小さな町のライヴハウスくらいには、俺らの歩みが影響を及ぼしていると思うから。そういう誇りを持って進み続けたいと思ってますね。ロックバンドの土壌ができること自体が、俺らがやってきたことの証明だと思うので」★

Interviewer

矢島 大地(MUSICA)